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荻野由佳さんのスピーチ&祖母と聖人君子

こんばんは。生きてます。
先日、何とはなしにAKB48の総選挙を見ていました(多分ハイライトですが)
そこでスピーチを聞いて、NGT48の荻野由佳さんのファンになりました。
スピーチが凄く感動的で「この子気になる」って調べてみて。
そして経歴を知って、またスピーチを聞くと思わず涙が出てしまいました。
翌日、すぐにNGT48の荻野さんが出ているCDを買いにお店に走りました。
アイドルだから勿論、可愛くてキラキラしててそれだけで素敵なんですけれど。
挫折しても挫折しても挑み続けてあの場に立っている姿が、もう、本当。
アイドルはファンに夢を与えるって、よく言うと思うんですけど。
荻野由佳さんは華やかで甘い夢だじゃない、もっと骨太の、今頑張って生きている色々な人たちに希望を与える意味でもアイドルの中のアイドルだなと思います。
うー、もっと早く知りたかった!来年は絶対総選挙おぎゆかに投票するぞ!



先日、祖母の一周忌で東京に行ってきました。
あれから一年だなんて、本当に時の経つのはあっという間だなって。

祖母は新潟の旧家の生まれで、大正生まれの女性としては珍しい職場での恋愛結婚でした。
祖父の一目惚れで足繁く祖母の家に通い、その熱心さにほだされたとか。
子供の頃はよく、遊びに行くと酔っ払った祖父に祖母との馴れ初めを聞かされて。
でも大人になって色々な話を周りから聞くと、中々大変な暮らしでもあったようです。
祖母は大往生で、子供たちの手を借りることなく祖父の面倒を見ながら暮らしていました。
誰にも一日も介護をさせなかった。祖母らしい最後だと皆、言いました。

祖母の葬儀は成人してから初めての弔事でした。
そこで、生前の祖母からはとても想像できないような祖母の姿を知りました。
感じたのは、やっぱりどんな人にも必ず負の感情があるんだなということ。
そして、それをずっと感じさせなかった祖母のすごさでした。

生きているということは、必ず雨の日と晴れの日があって。
それは一人の人間の心のあり方や、生き方にも言えることだと私は思います。
よく、人は他人に対して「私は聖人君子ではないから」と言いますが。
(私も怒るとき、許しがたい目に遭ったとき、この言葉がつい出てしまいます)
それってお互い様なんですよね。この世はNOT聖人君子だらけ。

祖母は私にしてみれば、正に聖人君子のような人でした。
父の話を聞く限りでもそうだったんだろうと思います。
でも、違った。祖母にも他人に対する激しい憎悪や拒絶の心があったんです。
ただ私は、それがあったからこそ祖母は聖人君子のような人だったのかなと思います。
誰かを激しく憎んだり、嫌悪する心を持っていたから、周りを許し続けた。
優しくあろうとした。善い人であろうとした。そういうことなんじゃないかって。

私もいつかそういう風になりたいです。
聖人君子にならなくていい。元より完璧からは程遠い人です。
ただ、自分が不完全で失敗もして、感情に振り回される人間だからこそ、他人のそういうものを嫌悪しつつも許したい。受け入れたい。生きることはどんな空模様でもお互い様だと思うから。
そして祖母のように素敵なお婆ちゃんになりたいです。
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ちょびっと京都の話&最近考えていること

お久しぶりです。生きています。
しばらくPCがインターネットに繋がらない&仕事で右往左往していました。
最近は小さな日常の不便を解消するべく、ちょっとずつ動いています。
先日はようやっと形成外科に行って一年以上不調だった利き手を見てもらいました。
案の定というか、腱鞘炎でした。チーン。
ただ軽度&月に1回の注射で握力も無事に戻るみたいです。
手に力が入らなくて絵が描けない&書き文字の乱れに困っていたので一安心です。

ツイッターでは少し呟いていたのですが、先月末に京都へ旅行に行ってきました。
仲のよい友人と二人、二泊三日の気ままな旅です。
この旅行に関しては旅行記を書きたいなーなんて淡く考えていたのですが。
まだちょっと書けていません。とりあえず日程はこんな感じでした。

・1日目:清水寺、八坂神社、四条河原町&祇園
・2日目:宇治川を十石舟で川下り、寺田屋、伏見稲荷、鴨川周辺散策
・3日目:安井金比羅宮、長楽館

何といっても思い出に残っているのが伏見稲荷です。
2時間半くらいかけて山頂まで登拝してきました!
すっごい大変だったけど、良い思い出です。友達と励まし合いながら登りました。
伏見稲荷、下の方は観光客も多いし撮影しているインスタグラマーも多くて賑やかなんですけど、上へ行けば行くほど静かで、人も少なくて、あと異界感があります。めっちゃ山の神さまの気配を感じる。登拝して下山したとき、すごい「ああ、人間の世界だな」って感じました。
あと、伏見稲荷の千本鳥居は人生のやりたいことリスト100で行きたい場所にカウントしていたので、直に見られて本当に良かった。お社の人のお話では現在1万騎くらいあるそうな(!)

他にも色々と思い出深い旅ではあったので、じっくり旅行記を書きたいです。書けるかな。汗



そういえば先日、2017年になってからの読書記録が100冊を達成しました。
去年100冊で、今年は150冊くらい読めれば良いなあと思っていたのですが、楽々達成できるような気がしてきました。油断は禁物なんですけどね。汗
最近のマイブームはガルシア・マルケスとアリス・マンローです。あと初めてきちんとデグジュペリを読みました。「夜間飛行」と「人間の大地」の2冊。「人間の大地」は特に感動しました。
もっと若い頃に出会いたかったなと思う反面、色々あった今だからこそ、今の自分だからこそ、感じるものなのかもしれないなとも思ったりして、卵が先か、鶏が先か、みたいな状態です。



創作活動に関しては、あまり特筆すべきことがありません。
淡々と、一人で書いています。先日は「海から出た魚」という短編を書きました。
ただ、最近少しナーバスになっているのか、作品を人目にさらすことが怖いなと感じるようになってしまいました。それに反比例して、一人で書く作業がすごくすごく楽しくなっています。

今年の初めから色々なことがあって、怒ったり、憎んだり、悲しんだりしていた訳なんですが。
その波が引いて、日が射して、初めて海岸に打ち上げられたものや嵐で削られた岸辺が露わになってきたような状態なのかな、と思っていたり。
感情の渦中にいたときは気がつかなかったけれど、自覚していたよりもずっと心に爪痕を残していたんだなーというか、まだ他人事みたいに思えていたことがようやく自分のものになったとでもいうのか・・・この辺、ちょっと説明が難しいんですけどね。汗

ただ、そうなってみてようやく大丈夫になってきたことも沢山あって。
たとえば三月の庭の本、読みたくて通販したりしても、いざ目の前にすると色々我が身に起きたことを思い出して、素敵な本であればあるほど読むのが辛くて読めなかったりしたんですけれど。
最近、そういう本をザクザク読み始めています。感想もちょっとずつ送り始めていたり。
テキレボで買った本はわだかまりなく読めていたので、やっぱ庭の本だったっていうのがネックだったんだろうなーと。我ながらかっこ悪いし、情けない話なんですけどね。

あと、庭の本のために書いておいた作品も、ずっと封印フォルダにぶち込んで見ないふりしていたんですが、これも最近ようやく開いて見られるようになりました。
当時は本当、全部「こんな無下な扱いされるからには私の書くものなんて全部クソなんだろう」とヤケクソになっていたんですけど、今読むとまあ・・・別に普通でした。クソじゃなかった。
でも、その反面まだまだだなって思うところだらけで凹んでもいます。頑張ります。

色々と細かいことを考えると苦しいばっかりになっちゃうんですけど。
ただ、一人で好き勝手書いているときは本当に楽しくて、書くという行為に関してのみ、自分は日々純化されつつあるのかもしれないなと思っています。
また本も作りたいけれど、誰かと関わるのはまだちょっとなーって思ったり。
小説を書き始めた頃、一人ずっと応援してくれた読み手さんがいて。
でも、いつの間にかその人はいなくなってしまって、それがずっと悲しかったんですけれど。
(その人が励ましてくれなかったら嫌がらせとか寂しさに負けて投稿は止めていたと思う)
何だろう、小説って誰かに楽しませてもらう手段じゃなくて、誰かを楽しませるもので。
私の作品にそういうものが消えていって、私という作者のエゴや承認欲求が先に出て行ってしまって、それでその人はいなくなってしまったんじゃないか、とか。今はそんな風に思います。
需要とか流行とか売れ線とか、そういうのはきっと、その要素が大好きな人の書くものには絶対叶わないと思うから(私が下心で乗っかったって所詮付け焼き刃&見え透いていると思う)。
自分の考える面白いものを、魅力的に書いて伝えられるよう、腕を磨いてゆけたらいいなと思いながら毎日書いてます。以上!

ミュシャ展&ナビ派展に行ってきました

お久しぶりになりました。生きています。嘘、ちょっと死んでます。
前回ブログを書いたあとから、さらに仕事がパツパツです。
普段は「なるべく残業なぞしない!定時で終らせる」と決めているんですけれど。
一年のうちに何度か、どーにもならんくらい忙しくなることがあり。
今年はどうもそれがちょっと長いみたい。一難去ってまた一難、って感じ。
でも、そんな中でも本は読み、小説を書き、楽しく遊んで生きています。
今日は井上荒野の「静子の日常」を読了しました。
これで2017年に読んだ本はちょうど90冊になりました。ヒャーハー!

そして、先日は話題のミュシャ展&ナビ派展に友人と一緒に行ってきました。
ミュシャ展は、以前森アーツでやった展覧会で「スラブ叙情詩」の存在を知って。
以来「いつか見てみたいな」と思っていたので、今回の展示は待ってました!といった感じ。
朝の5時に飛び起きて電車で三時間かけて開館前に並びました。
その甲斐あってすぐに入れたし、人が増えないうちにじっくり見ることができました。
スラブ叙情詩は本当、素晴らしかったです。
圧倒的なスケール、そして迫力と繊細さの調和!
あと、私はやっぱりミュシャはアールヌーボーのイメージがすごく強くて。
スラブ叙情詩の存在を初めて知ったときも「え!そういうの描いてたの!?」ってひどくびっくりしたんですけれど。
何だろう…これが本当のミュシャなのかなあ…って気持ちになりました。

チェコの歴史にあまり詳しいわけではないんですけれど、最近チェコ史は本を読みまして。
本当に、すさまじい歴史の上に作られた国なんだなってそのとき思ったんですよね。
神聖ローマ帝国の都になったこともあり、宗教戦争の激戦区にもなり、法王庁とも戦い、異民族にも侵略され、自分たちの言語すら奪われかけた国。栄光と屈辱を何度も経験した国。
チェコはヨーロッパのナショナリズム確率の先駆けみたいなところがあるらしいんですけど、その歴史を少し紐解くだけで「民族としての団結」を掲げないとあっという間にバラバラにされてしまいそうな、そんな過酷な歴史を生きてきた国なんですよね。
スラブ叙情詩が美しく、素晴らしかった分、ミュシャが自分の故郷への思いをこんな風に激しく叩きつけるような歴史があったんだろうなってちょびっと思いました。

ナビ派は、三井一号館が素敵だと聞いて、はしごできそうだから行こう!って行ってきました。
ほぼ名前を知らなかった画家ばっかりだったんですけど、美術の本で見たことある!っていう作品も何点かあって(黄色いキリスト像のある自画像、とか)
正直、よく分からん!っていうのもあったんですけど(めちゃべた塗りやん!と思ったり。べた塗りされすぎて何描いてあるのか分からん、みたいな)
でも「水浴」とか、あと「プシュケ」の連作とかとっても素敵な作品もいっぱいありました。
よく知らないからとりあえず見てみよう、から良い感じに楽しめましたウヒヒ。
あと、三井一号館の中庭がめっちゃ奇麗でした。薔薇が満開で!
美術館併設のカフェに入れなかったのが唯一の心残りです。
でも50分待ちはなあ…ミュシャ展より並ぶやん…ってなって諦めました。笑

今年は面白いそうな展示がまだまだまだまだいーっぱいあるので、可能な限り見にいく予定です。さしあたっては「大エルミタージュ」と「バベルの塔」に行きたい!

そして、今週末からは三日間、京都に旅行に行ってきます。
小説書きのお友達とのんびり二人旅です。去年の湯布院に続き、目一杯楽しんで小説の材料を拾って帰ります!

高橋葉介先生サイン会&ソール・ライター展に行ってきました

お久しぶりです。生きていました。
どんどんブログを書かなくなっていて、個人的にアカーン!となっています。
仕事と私生活の修羅場は抜けましたがまだまだ諸々ある感じで。
でも、最近不思議なくらい「幸せだなー」と思う瞬間が増えていたりもして。
自分の身に何が起こっているのか、これから何が起こるのか。
そんなことを考えてちょっぴりワクワクしていますウヒヒ(゚∀゚)

近況ですが、連休初日に高橋葉介先生のサイン会に行ってきました!
多分何度か話題に出していると思うのですが、私はこの方の作品がほんっとうに大好きで。
代表作である「夢幻紳士」シリーズは勿論、「顔のない女」とか「学校怪談」とか。
何でこんな好きなのか苦しくなるくらい好きで好きで堪らない感じです。

ちょっと前に「人生の100のリスト」の話に触れたような気がするのですが。
リストを作る中で、自分が会ってみたい人の筆頭が高橋葉介先生でした。
ファン仲間とお喋りするたび、ずっと「どんな人なんだろう」って話をしていて。
リストを作っているとき「死ぬまでに会って大好きだって伝えたい!!!!!」と思いまして。
調べたら、すっごい近くでやっていたんですよサイン会。運命だなって思いました。
リスト作るの本当に良い。思ったより夢って、近くにあるもんなんだなって思った。

サイン会は大盛況だったけれど、整理券式だったので割とスムーズで。
何よりファンの皆さんのマナーがすごくきちっとしていた。
特に列整理とかされてないのに、皆黙って並んで待っているっていう。
しかもサイン会の内容がまた豪華!サインだけじゃなく、葉介先生とお写真&握手つき!!!
私は緊張と興奮でひっくり返りそうだったんですけど、「大好きです!」は伝えられました。

サイン会では、ほっこりエピも2つくらいありました。
1つは、サイン会用の単行本を買うためにレジに並んでいたときのこと。
サイン会は2部制で、私と同行した友人は2時の回だったんだけど、私たちの後ろに並んでいた若い女の子たち2人がどうも12時45分からの回だったようで。
「どうしよう間に合うかな」って言っているのを見て、友人と2人、順番を変わってあげました。
そのときは普通に「間に合わないと可哀想&私たちは2時からだし余裕だから」って気持ちからだったんですけど。
(あと「若い子にもファンがいるんだなあ嬉しい。高橋葉介ファンは皆兄弟!助け合わねば!」みたいな気持ちもあり。欲をいえば友達になりたかったぞ!)
その後、2時の回のためにブックタワーの9階に行って並んでたら、その女の子たちも9階にいて。
「あれ?もしや2時の回にも参加なのかな?」と思ってたら、私たちに気づいて近づいてきて。
「さっきはありがとうございました!」って。わ、わざわざそのために来てくれたのか!と。
全然大したことしてないのに。律儀で礼儀正しい、良い子たちだなって感動しました。
(そして友人と「やっぱ葉介ファンに悪い人はいないんだね」という結論に落ち着く)
大好きな作品の見知らぬファン仲間に幸せな気持ちにさせられました。
やっぱり葉介先生は作品もファンも最高やで。

あと、もう1個は書泉ブックセンターの店員さん。
サインをいただいた後、スタッフさんとして参加されていた女性の方と少しお話して。
「大っ好きなんです」と言ったら「分かります!!!!!!」と。な、仲間!!!!!!!!
しかも「大好き過ぎてサイン会お願いしちゃったんです」と。

あ、貴方が神かーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!

「あああああああありがとうございます!」しか出てこなかったですよね。もう。
思えば葉介先生って、最近まであんまりそういうことしてなかったんですよね。
だから今回のサイン会も「葉介先生最近アクティブだな」って感じだったんですけれど。
今回のこの素晴らしいサイン会も、一人の葉介ファン仲間のあっつい気持ちが実現させたんだなあと。
この世界って素晴らしい。店員さん、ありがとうございました!

何か、同じものを好きな人たちが素敵であることが嬉しくてたまらなかったです。
結論=高橋葉介ファンにはやっぱり悪い人はいない&むしろ皆とっても素敵!
私も葉介ファンに恥じない、素敵な人になるぞって思いました。えへへ。

サイン会の後にはソール・ライター展に行ってきました。
同行した友人がカメラマン&告知見て「面白そうだな」っていう軽い気持ちからだったんですけど。
結論をいうと、ものすごく良かった。一見の価値ありです。
ソール・ライターはNYで活動していたカメラマンなのですけれど。
何だろう、その作品もさることながら、生き方や創作の姿勢もすごくすごく格好良くて。
彼は60年間、ファッションプレスのカメラマンとして働く傍ら自分の暮らす街を撮り続けたという人なのだそうです。
名前が知られるようになってからも愛する人と暮らす街を撮り続け、そこから本人も意図せず写真を芸術へと押し上げ、カラー写真のパイオニアになったというNYの伝説。
会場で紹介されていた彼の言葉で私が素敵だなあと思ったものを1つ、紹介しておきますね。

「神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ」

ソール・ライター展で私が感じたのは、自分は自分で、このまま地道に努力していこうってことでした。
最近でもないけど、書くことに対して焦りや諦めみたいなものがちょっとあって。
自分は地道に努力するくらいしか能がないけど、それも何となく無駄なんじゃないか。
自分にはありきたりなものしか書けないし、個性なんてものも芽生えず、そのうち義理で読んでくれる人すら消えて、ぼっちになるんじゃないかなあ…とか。
結局自己満足でしかないし、自分では面白いと思うけど周りからしたらそうでもないような気がす。何か恥ずかしいし、馬鹿みたいだし、かっこ悪いのかもしれない。
そんな風に考えてクサクサしていたのです。まあ、色々あったのもあるしね。

でも、ソール・ライターの作品を見て、言葉を聞くと、それ全然悪くないじゃんって思えた。
だって、結局じゃあ書くのやめるかって、書くんだもん。
自分で面白いと思えるのって幸せじゃん。
誰も読まないなんてないじゃん。だって絶対自分が読むもの。
一人で書いて一人で読む。そういう活動、ありなんだなって。

見せるためじゃなく、売るためでもなく、作品展のためでもなく、ただ撮りたいから撮り続け、現像すらしなかったフィルムを沢山残してこの世を去ったソール・ライター。
今、彼の子孫が運営する財団はその膨大なフィルムの山を宝島として、日夜そこから作品を世に出しているそうです。
功績以上に生き様がレジェンド。そしてそういう創作活動があってもいいんだなって。
そんな風に思いました。
(無論私と彼では比べたら失礼通り越して失笑ものだっていうのは分かっていますアヒィ)

個展「窓からの眺め」に行ってきました

こんばんは。少し間が空きました。
最近、私生活も仕事も修羅場続きで半分くらい魂が死んでいます。
でも最近読んだPHP文庫(私は風呂で読む)にとても良い言葉が載っていて。
「良いことが起こる前には酷いことが起こる」的なそんな感じで。
今きっと辛いのは、このあと良いことが起こるっていう神さまの天秤の上にいるからかなとか。
そんな風に思うようにしています。今までもそうだったしね。プラマイゼロ。

最近特筆すべきことが1つ。
先週末、美瑛在住の女流画家・鈴木美絵さんの個展「窓からの眺め」に行ってきました。
鈴木美絵さんのことは、雪舟えま先生のツイッターがきっかけで知りまして。
以来2年近くひっそりと追いかけていた画家さんです。
とても美しい、心洗われるような静謐な作品が多くて、特に私はこの方の「白」が大好き。
昨年かな?ボーナスで大好きな作品「原風景」の原画を購入しました。

そして今年、ついに個展に行くことができました!
初めて降りる駅、初めて行く場所、しかもぼっちだったのでハラハラしたのですけれど。
無事にギャラリーに着いて作品を目にしたときはもう、感動しかなかったです。
私が訪れたときは三人くらい先客がいて、鈴木さん本人もその方たちとお話していて。
私はというと前から見たかった貝柄絵の現物と、ネットで販売していたときに購入を迷っていた桜の花の原画を鑑賞しながらうっとりしていました。
本当は貝柄絵を購入したかったんですが、これ欲しい!と思うものは全部売約済み。
個展二日目にして、会場内の半分以上は売約札が付いてました。

でも、そんな中で大作「100年の庭」はまだ売約されておらず!
実はこの作品、鈴木さんがツイッターで制作過程&完成写真を載せたときからずっとずっと「素敵!!!!!!!」と感動していた作品でした。
途中、鈴木さんとお話したり、持参したプリザーブドフラワー&お菓子をお渡ししたりはしていたのですが、それ以外のギャラリーにいた時間の半分くらいはこの絵を眺めていたような気がします。
写真で見たときも素晴らしかったけれど、実物は写真の10000倍くらい魅入られるものがありました。
もう、ほんっとうに美しくて、素晴らしくて。
どうしてもどうしても欲しくて、欲しくて、毎日見たい欲が止められなくて。
虎の子として持参したお金を全部はたいて売約してきました(ドーン)

以前、ある作品展に行ったとき所持金が2000円足りなくて、入れ替え制だったこともあり涙を呑んで購入を諦めた経験があって。
今回はそんなことあっては大変!と自分が今使えるお金の上限最大値を持って行ったのです(といってもそんなに大金ではないけど、私には大金)
でもね、それ全部使ってもその価値はあまりあるほどの作品だと思います。
つか、その3倍の値段でも売約した。そのくらい、心をがっちり掴まれてしまったのです。
昨日ギャラリーから絵が届いたので、早速部屋に飾っています。
もう本当、昨日から暇さえあれば眺めてます。見るたびに心が満たされてゆきます。
買って良かったなって本当に思う。きっと買わなかったら来世まで後悔していたかもしれない。

余談だけどいつもはちょっとお金を使うと「貯金しなさい」と母に小言を言われるのですが。
今回は、受け取りの関係でどうしても打ち明けないといけなくて。
写真を見せながら「買ったの」と言ったら、「うわー!!!!!素敵な絵ね!」と大興奮。
「高かったの?」と聞かれて値段を白状しても、「買えて良かったわねえ」としか言われず。
美しいものって、やっぱりそれだけで説得力というか、有無を言わせぬ何かがあるんだなと。
そんな風に思いました。
なお、昨日絵が届くと母は私の部屋を何度も覗き(正確には絵を覗いている)、そのたびに「本当に素敵な絵ねえ」と感激してくれるので、私も何だか誇らしくて、いっそ玄関とか居間に飾ってもっと色んな人に見せびらかしたい気持ちでいっぱいになっているのは内緒です。
私の部屋だけで独り占めしたいのと、もっと色んな人とこの気持ちを共有したいジレンマ。
人間って我が儘ですね。苦笑

部屋に飾っている様子


あと、会場で出会った鈴木美絵さんなのですが。
もうご本人がすっごい綺麗な方で、華奢で小柄なのにすごくオーラのある方でした。
特にその双眸が印象的だった。キラキラ輝いているんだけど、とても静謐な感じ。
きっと、北の海で鯨に見つめられたら同じ気持ちになる気がする。
雪の妖精の器に氷海の鯨の魂を入れて、ひとしずくの光と花の香りを振りかけたような人。
それが鈴木美絵さんに対する私の印象です。
帰り際に握手をしていただいたのですが、手は小さくて、冷たくて。
この手があの絵を描いているんだと思ったら、しんとした気持ちになりました。

本当に素晴らしい時間でした。また次に東京で個展があったら是非行きたいです。
「100年の庭」も「原風景」も私の宝物として大切にしてゆこうと思います。